6月26日、自宅から近い操山の麓のお寺を2か所訪問。
まず最初が山本院。
この寺は岩間山最明寺山本院という名前だが、ここは鎌倉幕府の5代執権北条時頼が諸国を旅したときに、この寺を修復して寺名を最明寺にしたと言われている。
最明寺は北条時頼のゆかりの寺の名前である。
そしてこの寺には北条時頼が植えたと言われる名木の桜があったようだ。
もちろん北条時頼の諸国行脚は伝説であり、このお寺の由来も伝説であろう。
さて、汽笛一声新橋を、で始まる鉄道唱歌の続編に山陽線唱歌というものがある。
この歌詞の中に、
「瀬戸内すぎて西大寺 北条時頼入道が
手植にしたる名木の 桜は岩間の寺にあり」
とある。
西大寺と言いながら、この寺を歌ったのはちょっと不思議であるが、それほど有名な伝説だったのだろうか。
現在は江戸時代と思われる本堂が最も古い建物で、時頼の桜らしきものもどこにもない。
そして、この伝説について説明されているものも何もない。
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