10月18日、倉敷市の藤戸を訪問。
まずは有名な藤戸寺から。
石段下から見える堂宇はなかなか堂々としている。(写真1)
この寺は奈良時代に行基によって開基され、聖武天皇によって勅願寺とされたと伝えられる。
その後、源平の藤戸合戦の際に先陣の功名を立てようと考えた佐々木盛綱は、地元の漁師に馬で渡れる浅瀬の存在を聞き、他人が同じことを聞いて先陣が奪われる事を恐れ、教えてもらった漁師の若者を殺害したという。
この話は平家物語が出典で、まあ、作り話でしょうね。
事実だとすれば非道な行為としか言いようがない。
この藤戸合戦の功により、この地を与えられた盛綱はこの寺を修復して、源平合戦の戦没者や自ら殺した漁師の供養のために大法要をしたと言われている。
ちなみに盛綱の弟の佐々木高綱は、宇治川の戦いで梶原景季と先陣を争い、初めは遅れをとるが、景季に馬の腹帯が緩んでいるから締め直した方がよいと言い、その間に先陣を切ったと言われている。
こちらも出典は平家物語で、先陣好きと言うか、目的のために手段を選ばないと言うか、変な兄弟として語られているものだ。
本堂は江戸時代後期の建物。(写真2)
真言宗の寺で大師堂がある。(写真3)
また、この寺には石造五重宝塔がある。
鎌倉時代前期の銘があり、この時代の在銘宝塔は全国的にも数が少ないそうで、県の重文となっている。(写真4)
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