児島八十八か所巡礼 第43番 西明院
倉敷市
続いて西明院であるが、次の札所の先陣庵とは同じ場所にある。
ここは元々先陣庵の敷地であり、西明院は種松山の山上にあったものが移転したとのことである。
児島霊場の開設にまつわる逸話として、約160年前江戸時代の終わり頃に. この西明院と吉塔寺(24番札所)と備中国分寺の3人の住職が集まり、人生はたかだか50年だが後の世に残る立派な仕事をしよう、という話になり、西明院の住職は金比羅大権現の勧請を、吉塔寺の円明僧正は児島八十八か所の開設を、国分寺の住職は五重塔の建立を成し遂げた。
そういうわけで背後の丘の中腹には金比羅宮があり、寺の本堂と登廊で結ばれ、神仏習合となっている。
現在の本堂は移転した際に建てられたもので、あまりお寺の本堂らしくなく、庫裡の一部に入母屋向拝を付けたような感じである。(写真1)
他に唐破風の玄関のある客殿と鐘楼がある。(写真2)
石標には大正13年1月移転と刻まれており、これがこの地に移転した年だろう。(写真3)
後日、かつての札所の名残を求めて種松山に登って見た。
山上は公園のようになっていて、その奥に昔の石垣や打ち捨てられた石造物があった。(写真4)
「児島風土記」によれば、かつては山頂に1軒の遍路宿と3軒の茶店があり、金毘羅宮の祭日には境内で競馬や相撲が催されたとのことであるが、その様を思い描くにはかなりの想像力が必要である。

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