児島八十八か所巡礼 第44番 先陣庵
倉敷市
次に西明院と同じ敷地の中にある先陣庵。(写真1)(写真2)
今は西明院の一隅にお堂があるだけだが、元々は天暦山先陣寺という大きな寺であった。
源平の藤戸の合戦の際に佐々木盛綱が先陣を切って上陸したところに、後に盛綱が戦功によって児島の領主となった際、源平両軍の戦死者の冥福を祈るとともに、自らの先陣の地を記念して建立したと言われている。
盛綱の先陣については、地元の漁師の若者に馬で渡れる浅瀬の存在を聞き、他人が同じことを聞いて先陣が奪われる事を恐れ、その漁師を殺害したという話が平家物語にある。
この話にまつわる伝説も多くあるが、平家物語の多くの話は史実と異なると考えられ、これもそういった類であろう。
ただかつて海峡であったこの地に盛綱が馬で渡って平家陣に攻め込み、藤戸の合戦に勝利したことは史実であると思われる。
先陣寺がいつ頃廃寺になったかわからないが、「児島八十八ヶ所道案内」には先陣庵と書かれているので、児島霊場が開かれた頃にはすでに小庵となっていたようだ。
お堂の傍に石造の観音像があり、新しく見えるが台座には嘉永7年の年号があり、江戸時代後期のものである。(写真3)
石標については、第44番先陣寺と第45番遍照院が併せて刻まれており、次の札所の案内を兼ねている。(写真4)

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