児島八十八か所巡礼 第48番 一等寺
倉敷市
9月25日、先週に続いての巡礼は、まず一等寺。
寺伝によれば、奈良時代の天平年間に行基によって開かれ、室町時代以後は衰微していたが、安土桃山時代の天正年間に再興された。
この地には奈良時代から新熊野山十二所権現(倉敷市林の熊野神社)が栄えていたが、この寺はそれを祀る別当寺である大願寺の35の末寺のひとつで、古くは護国寺、のち有南院と称した。
江戸時代になって真言宗の寺院として独立し、児島の西北部真言宗の中本山として12の末寺を持つようになり、享保2年(1717)に一等寺と改称された。
児島八十八か所を創設した円明僧正は13歳のときにこの寺で剃髪し、24歳まで修行をした後に吉塔寺の住職となった。
さて訪問してみると、なるほど中本山らしい堂々とした構えの寺で、どの建物も重厚という表現が相応しい。
石段を少し登ったところに山門がある。(写真1)
本堂の前にも立派な四脚門があり、こちらが本来の山門のようにも見えるが、寺名の札が掛っている写真の門の方を一応山門としておく。
本堂は江戸時代後期の建物で入母屋造り。(写真2)
同じく江戸時代後期の客殿は重層の入母屋造りで、児島霊場では由加山蓮台寺にも重層の客殿があり、それに倣ったものかもしれない。(写真3)
客殿を重層にする様式は、わりと珍しい。
石標は、境内から少し離れた参道の途中にお地蔵様と並んで立ち、覆い屋がある。(写真4)

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