巨木探訪:高梁市〜成羽町・備中町(4)
しばらく進むとベンガラで有名な『吹屋ふるさと村』である。
ゴールデンウィーク初日ではあるが、夕暮れのこととて人影は少ない。
ここもゆっくり訪ねればそれなりに面白いのであろうが…それよりも道が混んでいなかったことに安心する。
そして通過しようとした時、左手の家並みの向こうにあるスギが目についた。
どうしようかと思ったが、目につけば確認したくなる。
ふるさと村の駐車場に車を停めて歩いて行くと、そこは木山山神社であった。
スギは幹周3mくらいであろうか…これが環境庁データに載っている吹屋のスギのうちの1本かどうかはわからない。
それよりも神社はあまり手入れをされていない様子で、拝殿もなんだか精彩が無い。
そちらの方が気になった。
(この地図には新しい道がまだ記載されていないようである。)
そそくさと吹屋から立ち去り県85を国180へとすっ飛ばしたのだが、思ったとおりなかなか抜けることができない。
少し開けた地区に出て、もうすぐか、と思いきや、また山あいを走るといったことを繰り返す。
ようやく国180に下りて(高倉町飯部)左折。
日は既に暮れかけている。
6〜700mほど北上すると道路脇に大きなスギがある。
県下でも5指に入る「御鋒神社の古杉」である。
神社手前の路肩が少し広いので車を停めて近づいてみると、なるほどでかい。
思わず「うわっ!でかっ!」と独り言。
2幹に分かれたスギは神社の石垣と国道との間の狭いスペースに立っており、ちょっと窮屈そうである。
道路反対側は川なので正面からの全体像を写真に収めることはできない。
国道を上下に移動して写真を撮り、次は境内に入ってスギを裏側から眺める。
北側の幹の裏側は表皮が裂けて欠損していたが、樹勢は良さそうである。
立地条件に負けずに頑張ってほしいものである。
さて、ここまで来ると本日の予定を終了しても良いのだが、あと2.5kmほど北上すれば「方谷のエノキ」がある。
どうしようかと思ったが、ええい、ついでだ、行ってしまえ!
「方谷のエノキ」はJR方谷駅の少し手前、道路がカーブしたところで国道の斜面から高梁川に向かって突き出した格好で立っている。
比較的小振りな樹であるが、資料によると、北越戦争で戦死した長岡藩士河井継之助が山田方谷のもとで学んだ後、別れ際に、見送る方谷に何度も土下座をして礼を尽くしたのがこのエノキの傍であったとか。
近隣に駐車スペースは無いのだが、軽四であったことを幸いに路側に駐車。
かろうじて写真に写る明るさである。
ちょっと無理はあったものの、これで予定は終了。
帰路は先述の通り往路と同じで、本日の走行距離は234km。
それにしても成羽町・備中町、秘境ではなかったなぁ…。
ゴールデンウィーク初日ではあるが、夕暮れのこととて人影は少ない。
ここもゆっくり訪ねればそれなりに面白いのであろうが…それよりも道が混んでいなかったことに安心する。
そして通過しようとした時、左手の家並みの向こうにあるスギが目についた。
どうしようかと思ったが、目につけば確認したくなる。
ふるさと村の駐車場に車を停めて歩いて行くと、そこは木山山神社であった。
スギは幹周3mくらいであろうか…これが環境庁データに載っている吹屋のスギのうちの1本かどうかはわからない。
それよりも神社はあまり手入れをされていない様子で、拝殿もなんだか精彩が無い。
そちらの方が気になった。
(この地図には新しい道がまだ記載されていないようである。)
そそくさと吹屋から立ち去り県85を国180へとすっ飛ばしたのだが、思ったとおりなかなか抜けることができない。
少し開けた地区に出て、もうすぐか、と思いきや、また山あいを走るといったことを繰り返す。
ようやく国180に下りて(高倉町飯部)左折。
日は既に暮れかけている。
6〜700mほど北上すると道路脇に大きなスギがある。
県下でも5指に入る「御鋒神社の古杉」である。
神社手前の路肩が少し広いので車を停めて近づいてみると、なるほどでかい。
思わず「うわっ!でかっ!」と独り言。
2幹に分かれたスギは神社の石垣と国道との間の狭いスペースに立っており、ちょっと窮屈そうである。
道路反対側は川なので正面からの全体像を写真に収めることはできない。
国道を上下に移動して写真を撮り、次は境内に入ってスギを裏側から眺める。
北側の幹の裏側は表皮が裂けて欠損していたが、樹勢は良さそうである。
立地条件に負けずに頑張ってほしいものである。
さて、ここまで来ると本日の予定を終了しても良いのだが、あと2.5kmほど北上すれば「方谷のエノキ」がある。
どうしようかと思ったが、ええい、ついでだ、行ってしまえ!
「方谷のエノキ」はJR方谷駅の少し手前、道路がカーブしたところで国道の斜面から高梁川に向かって突き出した格好で立っている。
比較的小振りな樹であるが、資料によると、北越戦争で戦死した長岡藩士河井継之助が山田方谷のもとで学んだ後、別れ際に、見送る方谷に何度も土下座をして礼を尽くしたのがこのエノキの傍であったとか。
近隣に駐車スペースは無いのだが、軽四であったことを幸いに路側に駐車。
かろうじて写真に写る明るさである。
ちょっと無理はあったものの、これで予定は終了。
帰路は先述の通り往路と同じで、本日の走行距離は234km。
それにしても成羽町・備中町、秘境ではなかったなぁ…。