巨木探訪:R429(久米町3)
次は「三成のヒイラギ」。
県159と国181の交差点に戻り今度は左折。
ここから道は県340になるのだが、1kmも行かないうちに宮部川を渡って左折し県335へ。
200mほど進んだところの右手に入る細い道の奥の国米家(密厳寺の手前)にヒイラギがあるはず。
335の道路脇に車を停めて歩いて行くと民家の庭先にヒイラギはあった。
しかし写真の如く、かなり傷んで枯死寸前の様相である。
旺時の姿にはもう戻らないであろう…。
家人が農作業をしていたしヒイラギの姿も無残であったので写真はこれだけである。
再び先ほどの交差点に戻り直進(南下)。
幻住寺から159に下りてきた地点の少し北側の道路を挟んで東側が神代地区である。
ここには「神代のスダジイ」という巨木がある。
しかし所在地は確定できていなかった。
ネットの検索では『神代 若宮神社』と出ていたのだが、この地区にそのような神社は無い。
さらに調べていると『甲元家の若宮神社』ということが判明した。
ということは神社とは言っても祠のようなものであろう。
これでは情報ゼロに等しい。
万能地図でアタリをつけ、そこを拡大地図で見る限りでは400m四方の狭い地区のようである。
歩いて探せば何とかなるかもしれない、と道路脇の消防分団器庫の脇に車を置いて行くことにした。
地区に入る道は3本あるのだが、まずは真ん中の道を登ってみることにして歩いて行く。
それにしてもよく歩く日である。
200mほど歩くと右手前方にこんもりとした樹が見えた。
樹下には町指定の立杭を思わせるような白いものが見える。
とりあえず確認しようと右手に伸びる道に歩を進めて行くと、白いものは祠の屋根部分であることがわかった。
若宮神社か?とも思ったが、それにしては傍らの樹の幹が細い。
いやいや、これではない、もっと上の民家のところまで上ってみるか…と踵を返した瞬間!
振り返った真正面の林が開けたところにある1本の樹が目に入った。
同時に樹下の祠と白い立杭も…
な〜んだ、こんなところにあったのか。
嬉しさと安堵と拍子抜けしたような気持ち。
急いで駆け寄り立杭を確認、間違うことなき「神代のスダジイ」であった。
樹齢500年のスダジイ、幹は3幹に分かれた勢いの良い樹である。
幸せな気分に浸ったまま、本日最後の目的地へと向かう。
時刻は5時前、曇天のため日暮れも少し早い。
間に合うかどうか、とりあえず県159を急いで南下し、国429に突き当たったところで細い道に直進。
目的地は500mほど先の慈恩寺である。
地図に従って行けば寺の手前まで車で侵入可能。
境内を横切り本堂の前まで来ると、本堂正面向かって左手の奥に「桑下のモチノキ」がある。
この名前は『岡山の樹木』に記載されているもので、樹下の名木百選の杭には「慈恩寺のタラヨウ(モチノキ)」と書かれている。
正確に言えばタラヨウとモチノキは別の樹で(どちらもモチノキ科であるが)、葉の形からすればこれはタラヨウである。
幹周は2mちょっとなので巨木というには少し役不足である。
指定天然記念物一覧表では、ここには他に幹周3.5mのクロガネモチが記載されているのだが、これは見つからなかった。
ここまで来るとさすがに日暮れの色が濃くなってきた。
本日の探訪はこれで終了である。
久米町にはあと「神代のコミカン」と「高津神社のコガノキ」と「妙福寺のサルスベリ」いう町指定の樹があるのだが、どれも巨木ではないので今後の探訪は割愛。
国429を一路岡山方面に帰った。
余談である。
県72〜国429ルートを走ってみて、意外と早く津山に行けることがわかった。
休乢トンネルの東側の油木下から我家までほぼ1時間。
油木下から国429が国53に合流する皿までが5〜6kmほどであるから、我家から皿まで1時間ちょっと、これは美作やまなみ街道を走って皿に出るのとほぼ同じくらいである。
これは国429がほとんど山中を貫いて信号が少ないことと、新しくトンネルができたことによるものであろう。
このルートも活用したいものである。
県159と国181の交差点に戻り今度は左折。
ここから道は県340になるのだが、1kmも行かないうちに宮部川を渡って左折し県335へ。
200mほど進んだところの右手に入る細い道の奥の国米家(密厳寺の手前)にヒイラギがあるはず。
335の道路脇に車を停めて歩いて行くと民家の庭先にヒイラギはあった。
しかし写真の如く、かなり傷んで枯死寸前の様相である。
旺時の姿にはもう戻らないであろう…。
家人が農作業をしていたしヒイラギの姿も無残であったので写真はこれだけである。
再び先ほどの交差点に戻り直進(南下)。
幻住寺から159に下りてきた地点の少し北側の道路を挟んで東側が神代地区である。
ここには「神代のスダジイ」という巨木がある。
しかし所在地は確定できていなかった。
ネットの検索では『神代 若宮神社』と出ていたのだが、この地区にそのような神社は無い。
さらに調べていると『甲元家の若宮神社』ということが判明した。
ということは神社とは言っても祠のようなものであろう。
これでは情報ゼロに等しい。
万能地図でアタリをつけ、そこを拡大地図で見る限りでは400m四方の狭い地区のようである。
歩いて探せば何とかなるかもしれない、と道路脇の消防分団器庫の脇に車を置いて行くことにした。
地区に入る道は3本あるのだが、まずは真ん中の道を登ってみることにして歩いて行く。
それにしてもよく歩く日である。
200mほど歩くと右手前方にこんもりとした樹が見えた。
樹下には町指定の立杭を思わせるような白いものが見える。
とりあえず確認しようと右手に伸びる道に歩を進めて行くと、白いものは祠の屋根部分であることがわかった。
若宮神社か?とも思ったが、それにしては傍らの樹の幹が細い。
いやいや、これではない、もっと上の民家のところまで上ってみるか…と踵を返した瞬間!
振り返った真正面の林が開けたところにある1本の樹が目に入った。
同時に樹下の祠と白い立杭も…
な〜んだ、こんなところにあったのか。
嬉しさと安堵と拍子抜けしたような気持ち。
急いで駆け寄り立杭を確認、間違うことなき「神代のスダジイ」であった。
樹齢500年のスダジイ、幹は3幹に分かれた勢いの良い樹である。
幸せな気分に浸ったまま、本日最後の目的地へと向かう。
時刻は5時前、曇天のため日暮れも少し早い。
間に合うかどうか、とりあえず県159を急いで南下し、国429に突き当たったところで細い道に直進。
目的地は500mほど先の慈恩寺である。
地図に従って行けば寺の手前まで車で侵入可能。
境内を横切り本堂の前まで来ると、本堂正面向かって左手の奥に「桑下のモチノキ」がある。
この名前は『岡山の樹木』に記載されているもので、樹下の名木百選の杭には「慈恩寺のタラヨウ(モチノキ)」と書かれている。
正確に言えばタラヨウとモチノキは別の樹で(どちらもモチノキ科であるが)、葉の形からすればこれはタラヨウである。
幹周は2mちょっとなので巨木というには少し役不足である。
指定天然記念物一覧表では、ここには他に幹周3.5mのクロガネモチが記載されているのだが、これは見つからなかった。
ここまで来るとさすがに日暮れの色が濃くなってきた。
本日の探訪はこれで終了である。
久米町にはあと「神代のコミカン」と「高津神社のコガノキ」と「妙福寺のサルスベリ」いう町指定の樹があるのだが、どれも巨木ではないので今後の探訪は割愛。
国429を一路岡山方面に帰った。
余談である。
県72〜国429ルートを走ってみて、意外と早く津山に行けることがわかった。
休乢トンネルの東側の油木下から我家までほぼ1時間。
油木下から国429が国53に合流する皿までが5〜6kmほどであるから、我家から皿まで1時間ちょっと、これは美作やまなみ街道を走って皿に出るのとほぼ同じくらいである。
これは国429がほとんど山中を貫いて信号が少ないことと、新しくトンネルができたことによるものであろう。
このルートも活用したいものである。