三十三間堂の次は智積院へ。
このお寺は全く知らなかったが、通りがかりに国宝の長谷川等伯の絵があるとの案内があったので行ってみる。
この地には豊臣秀吉が3歳で死去した愛児鶴松の菩提のため建立した祥雲寺という寺があり、長谷川等伯の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものとのことである。
豊臣氏が滅亡した後、秀吉によって焼かれた根来山大伝法院がこの地に再興された。
智積院はもともとはこの大伝法院の塔頭の名である。
この寺は本堂が鉄筋コンクリート造りであり(写真1)、建築物で面白いものはない。
しかし、この寺にある長谷川等伯と長子の久蔵の絵は大変な傑作であり、また保存状態が非常に良く、国宝に指定されている。
特に久蔵が描いた「桜図」は大変優美で繊細な絵で、父を凌ぐと言われた画才を遺憾なく発揮している。
残念ながら久蔵はこの絵を描いて間もなく若くして急死してしまい、この作品はほとんど唯一と言えるものである。
また、この寺には見事な庭園があり、利休好みの庭と伝えられるこの庭園も豊臣秀吉の時代に原形が造られたとのことである。(写真2)(写真3)(写真4)
等伯親子の絵とこの庭園は望外の収穫で、適当に歩いてこういう物に当たるのだからつくづく京都は凄いと思う。
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