6月6日、瀬戸内市の大賀島寺へ。
宇喜多家の菩提寺と聞き訪問しようとしたが、カーナビが途中で案内を止めるほどの山の中、大雄山という山の頂近くまで来てようやく到達した。
本堂は江戸期の建物でかなり大きく、さすがは宇喜多家の菩提寺と言いたいけれど、この寺に墓所がある宇喜多一族って誰だろうか。
寺の近くには宇喜多一門供養の塔が建ってはいるが、説明は何もない。
この近くの砥石城(といしじょう)に本拠を置いた、宇喜多能家(うきた よしいえ、宇喜多直家の祖父)がここを菩提寺としたそうだから、あるいは能家の墓所があるのかもしれない。
その能家は砥石城落城の際に自害して宇喜多家は没落するが、戦国きっての謀将宇喜多直家が下剋上で備前一国の主となり、その子の秀家は豊臣秀吉の寵愛を受けて五大老の一人となった。
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