和気町、ようやく目的の法泉寺。
このお寺は写真でわかるように本堂が洋風建築である。
それだけでは単なるきわものだが、この本堂の建立は何と明治11年。
どうして、明治初期にこの草深い山里にこのようなものが建てられたか不思議である。
そのことは、このお寺がもともと日蓮宗の不受不施派であり、この宗派が禁教となり廃寺になっていたが、明治9年の解禁により教会所として再興されたことと関係がありそうだ。
明治の文明開化と、信教の自由という明るい風がこういう建物を造らせたのだろう。
そしてこれを建てた大工の棟梁は当時28歳であり、いち早く西洋文化を吸収しようとした当時の若者の気概が感じられる。
たいへん貴重な建築物である。
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