8月16日、次は岡山市建部町の成就寺。
ここも報恩大師が創建した備前48か寺のひとつで、その最後に建てた寺であるため大願成就ということで、成就寺と名付けられたと伝えられている。
報恩大師の名はよく出るので簡単に説明すると、養老2年(718)現在の岡山市芳賀に生まれ、備前備中の山の中で修行を重ね、数々の霊験を示したという。
孝謙天皇が病におかされたとき、宮中に召されて病気平癒の祈祷をしたら、たちまち天皇は全快して、「報恩大師」という名を授けるとともに、備前48か寺の建立の勅許を与えたそうだ。
さて、この寺には江戸後期の三重塔がある。
高台にある寺のこの塔は遠くからでもよく見え、場所を知らなくても簡単に寺を訪れることができた。
塔自体は全体より細部にこだわるいかにも江戸期の建築物で、さほど美しいとも思わないがそれなりに立派なものである。
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