8月31日、所要で瑞雲寺を訪れる。
少し私事を言うと、私の本籍は岐阜県であり岡山には菩提寺がない。
家族が健在なうちは、お寺と縁がなくてもかまわないのだが、そういうわけにもいかなくなり、それこそ縁あって瑞雲寺がわが家の菩提寺になった。
この瑞雲寺は小早川秀秋の墓所であり、もとは成就寺という名を小早川秀秋の戒名から瑞雲寺と改名したそうだ。
小早川秀秋の歴史上の評価をするつもりはないが、関ヶ原での裏切り行為のため、きわめて評判が悪い。
この小早川秀秋が関ヶ原の敗者である宇喜多秀家の領地を受け継ぎ、2年もたたないうちに21歳(異説あり)の若さでこの世を去った。
この死因に諸説あり、どれもまともな死因ではない。
江戸時代になろうかという時代に50万石の太守の死因が全く不明というのも解せない話で、普通の死でないことは想像できる。
さて瑞雲寺であるが、本堂は江戸時代中期、まあ標準的なものである。
本堂横に庫裏があり、こちらは気の毒なくらい傷んだ建物であるものの、本堂よりもかなり古い建物ではないかと言われている。
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