10月11日、旧御津町の妙覚寺へ。
この寺は以前訪問した和気町の法泉寺と同じ日蓮宗の不受不施派で、本山である。
ここの山門(写真1)も法泉寺の門と似ていて変わった門である。
キリスト教の教会でこのような門を見たことがあるが、宗教的な意味があるのか、それとも単なるデザインなのか。
日蓮宗不受不施派は、信者以外からの施しを受けず、他宗の者には施しをしないという教義で(どういう意味かよくわからないけれど)、江戸時代は邪宗とされ禁じられていた。
明治9年に解禁され、明治15年に漢方医の 難波抱節宅跡に妙覚寺が建立された。現在も難波抱節宅の遺構が残っている。(写真2)
本堂(写真3)は新しくてあまり面白くないが、鐘楼に梵鐘(県重文)の説明があり、建長四年(1252)の造で、秀吉の備中高松城水攻めのとき、陣鐘として使用され、その後長く土中に埋まっていたそうで、ちょっと興味をひく。
そこで梵鐘(写真4)をじっくりと見たが、どう見ても新しそうだ。
帰ってから調べてみると、今は新しい鐘が吊られているとのことである。
どうも説明が紛らわしいと思う。
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