児島八十八か所巡礼 第42番 順木庵
倉敷市
続いて順木庵。
このあたりは江戸時代の初めに、児島で最も早く陸続きになったところだ。
札所はかなりわかりにくい場所で、駐車場はないので黒石公民館の前に停める。
ここから歩いて訪問するが、注意して行けば道が別れているところには道標があるので迷うことはない。
写真は夏花に埋もれた道標で、これに気付くと札所はすぐである。(写真1)
ただし建物は民家にしか見えないので、どのような建物か事前に知っておかないと近くに行っても分からないかもしれない。(写真2)(写真3)
もう半分くらいの札所を回ってきたことになるが、だんだんと立派なお寺よりもこういう素朴な札所に心が惹かれるようになってきた。
寺、大なるが故に尊からず、長い年月の間、地域の人々の信仰の力によって守られてきたものは重みがあるし、今後も大切に残して行きたいものだと切に願う。
さて、この札所の順木庵という名前だが、以前は瞬目庵と呼ばれていたようだが、瞬目とはまばたきのことで、この言葉は仏教に関係するらしいが、定かではない。
順木についても、瞬目から変わったのだから、じゅんもくと読むのであろうが、意味はよくわからない。
一説によると、地域の人が順番でお堂の世話をしていて、当番に木札を回していたのが由来とのことである。
もっとも、「児島八十八ヶ所道案内」には大師堂とだけ書かれてあり、児島霊場が開かれた当時は単に大師堂と呼んでいたようだ。
弘化3年の年号のある石標にも第四十二番大師堂と刻まれている。(写真4)

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