児島八十八か所巡礼 第51−2番 住心院奥之院
倉敷市
ここは元は諸興寺の奥之院で、岩屋毘沙門堂と呼ばれている。
新熊野三山の新宮諸興寺については第51番住心院のところで少し書いたが、かつては堂塔伽藍を備えた大寺であった。
室町頃から次第に廃れて、江戸時代になると阿弥陀堂と薬師堂を残すだけとなり、やがてこれらの建物も無くなって廃寺となったと言われている。
ここ郷内地区には、後鳥羽上皇の皇子である頼仁親王(承久の変に連座して児島に流され、この地で薨去して諸興寺に葬られた。)の御陵があるが、御陵と裏の小公園が諸興寺のあった場所とされ、公園の隅に小さなお堂があるのがかすかな名残りである。
岩屋毘沙門堂へは御陵の近くから徒歩で登る道があり、しばらく行くと石垣とお堂が見えてくる。(写真1)
いかにも奥之院といった感じで、35番般若院の奥之院の湯谷山観音堂とともに、奥之院の双璧と言えよう。
本尊の毘沙門天像は鎌倉時代の作とされ、安置するお堂が失われていた一時期に、大岩の中で祀られていたため岩屋毘沙門天と呼ばれるようになったと言う。
現在は自然の岩に寄りかかったような面白いお堂がある。(写真2)
また、いつの時代のものかわからない磨崖仏の弘法大師像があり、あまり良い出来には見えないが、かなりの大きさがあり、奥之院の雰囲気を盛り上げている。(写真3)
石標は見当たらなかったが、52番札所への道標が石標のように立っていて、万延元年の年号が刻まれている。(写真4)

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