項  目

吉永町(1)

吉永町(2)

備前〜吉永町(補)

 

 

 






訪問日
2010年
06月27日
使用車種
軽 四

備 考
特になし


参考になったHP



矢掛町
巨木探訪:備前市〜吉永町(補)
珍しく昼間に空き時間ができたので、またまた近場の探訪を済ませることにした。
まずは備前市。
備前市には巨木は無いと思っていたのだが、調査で3本の樹が見つかったので検証せねばならぬ。

県250を東に向かい『香登』の信号を左折。
新幹線沿いの道を右折し、1本先の道を左折した正面に大内神社がある。
ここには「一里塚のエノキ」という巨木があるはずなのだが…まずは車を停める場所を確保せねばならない。
あいにく地区内には適当な場所が無く、ぐるぐる回った末に新幹線沿いの道に戻り、少し路側の広い所に路駐。
神社を訪ねてみたが、正面左手の一段高くなった石垣の上に一里塚はあった。
しかし巨木は無い。
境内を見渡しても巨木は見当たらず、「一里塚のエノキ」は現存しないものと思われる。
がっかり。

県250に戻りさらに東進。
備前片上を過ぎてさらに2kmほど進み『伊里中』の信号を右折し県261に入る。
300mほど先の信号を左折し、道なりに400mほど行くと左手の道路際に1本の樹が見えた。
「願成寺のビャクシン」である。
資料ではこのビャクシン、所有者は天神社ということになっている。
名称が願成寺なのに所有者は神社、おまけに地図で該当する番地にあるのは公民館。
こういうパターンで果たして本当に樹が存在するのか、大いに疑問であった。
実際のところ樹影を見つけたときも、半分は「これか?」という気持ちであったのだが、通りすがりに目を遣ると以外に立派な幹。
「願成寺のビャクシン」は実在していたのである。
近くの路側帯の広い所に車を停め、いそいそと近寄ってみたところ、樹は公民館の隣の塀で囲まれた敷地内にあった。
樹下には祠が祀ってあり、天神社との関係を伺わせる。
樹高が低いために遠目にはパッとしないが、幹はかなりの太さである。
資料では幹周3.5mということであるが、4m近くはあるのではないだろうか?
ビャクシン特有の幹の捩れも迫力があり、その捩れは枝の先にまで及んでおり実に見事。
樹勢も良く、青々とした樹冠は歩道の上に覆い被さっている。
幹周では勝央町諏訪神社のビャクシン、落合町箸立天神のイブキヒバに次いで県下第3位、樹齢は500年。
願成寺という名称の由来はナゾのままであるが、このような立派な樹がなぜに指定を受けていないのか、むしろそちらの方が疑問である。

  ビャクシン  ビャクシン
地図はこちらへ

県261に戻り1.5kmほど南下。
『友延』の信号を左折し、橋を渡って左折。
伊里中学校の前を通り過ぎ、200mほど先で左手の橋を渡った地区が麻宇那である。
この地区のいちばん奥あたりの地番の岩神社にムクノキがあることになっている。
橋を渡って右手の公民館に車を停め、徒歩で探索。
しかしムクノキはおろか岩神社さえも発見できず。
地区西方の山裾に木製の赤い鳥居が見えたので、念のためにそちらにも行ってみたがこれもハズレ。
「麻宇那のムクノキ」確認できず。

再度県261に戻り、来た道を引き返す。
県250まで戻って少し東進し『閑谷学校入口』の信号を左折。
この道は県261の延長であるのだが、これを抜けて吉永町に至る。
県96との交差点の『吉永』の信号を直進し、踏切を渡ってすぐに左折。
200m先を右折して県368に入る。
200mほど進むと左手の民家の向こうに聳えている樹が見える。
以前にこの道を通った時には気付かなかったのだが(もう少し先に行くと天神社のカゴノキがある)、この時は調査不足。
その後の調査で引っかかった「武元のムクノキ」はあっさりと見つかった。
しかし路傍には駐車する適当な場所がないので、50m先右手の備前市吉永支所の駐車場に入ることにした。
関係者でも市民でもないのでちょっと気が引けるが、ある意味観光客ということで許してね、と心中で断りを入れる。
「武元のムクノキ」は民家の裏手の片隅に立っていて、四方どちらからでもよく見える。
樹全体に蔦が絡まっていて美観を損ねているのが難点か。
樹下も雑然としていて本来の幹が見えないのが残念である。

                ムクノキ
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                    〜和気町(2) へ続く

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