巨木探訪:久米南町(補遺)
8月末、用事を頼まれたので午後から実家に帰る。
たいした用事ではないので比較的早く終わったし、実家には盆にも帰っているので、あまり世間話もない。
時間があれば久米南町の宿題を済ませようと思って準備だけはして来たのだが、時刻は4時過ぎ。
微妙なところである。
ま、せっかくだから行くだけ行ってみるか、と、国53を北に向かった。
誕生寺で左折し、とりあえず誕生寺の門前に。
『津山名木百選』によると、ここから右折して1kmほど山の方に上って行ったところに「北庄の大樫」という樹があるらしい。
所有者が北山神社なので、地番の違う北山神社を訪れたのは去年の話。
その後、地番の違いを調べていてこちらにあることがわかった。
この地番は地図には記載されていないが、北山神社の末社があった所ということなので分かるかもしれない、と、とりあえず近くの地番を訪ねてみた。
しかしどうもそれらしき樹は見当たらない。
ピンポイントで訪ねているのではないので見つからなかったのかもしれないが、『名木百選』
には『かなり樹勢が衰えている』と記載されていたので枯れてしまったのかもしれない。
誕生寺の門前まで戻る。
今度は左手の県376を上って行く。
2.5kmほどで道は二股になる。
左手が県376でこちらは今岡地区を通って上籾へ、右手は高坊・境に続く広域農道である。
右手に進んで500mほど進むと変形四つ辻があるので、さらに右手に折れる。
1kmちょっと走ると右手に『是里池』という大きな池があり、そのすぐ下にある池との間に道が通っているのでそちらに侵入。
略図によると、この道を進んだ先に「赤田の大樫」という巨木があるはずである。
目印は樹下に墓地があるとのこと。
池の畔を直進すると突き当りが四つ辻。
左右は細いながらも舗装路で、正面はただの山道。
略図では山道の方にあるかのように書かれているが、こちらに墓地は無く、おまけに行ってみるとすぐに行き止まりであった。
左手の道を見やると少し先の山裾に小さな庵がある。
これは誕生寺の奥の院ということであるが、やはり墓地らしきものは見えない。(念のため奥の院まで歩いてみた。)
ならば右手か…と歩いてみたが、山側(左手)の斜面の上に1軒の家があるものの、墓地はない。
さて、これはどうしたものか、これより他に道は無し…と四つ辻に引き返そうとして、ふと気づいたのが斜面の上の家に続くらしい未舗装の道。
ダメ元で行ってみるか、と登って行くと、前方に太い枝が見えた。
むむ、これは!
さらに数歩進むと墓地が見える。
もう間違いない!!
「赤田の大樫」は墓地全体を覆うようにその太い枝を拡げていた。
低い位置から枝分かれしている様は、なかなかの迫力である。
場所がらあまり気持ちの良いものではないが、墓石に向かって『失礼します』と心の中で念じ、写真を撮った。
資料によると樹齢は500年、樹種はシラカシ、幹周は4.9mということで、シラカシとしては県下最大である。
昔々、この墓地の先祖が墓守りとして植えたのであろう。
枝が重みで折れはしまいか、と気になったが樹勢は良さそうである。
それにしても、諦めないでよかった…。
次は「上籾の大樫」である。
この樹も以前に一度探索したが、結局所在が不明だった。
『山の神』さんのHPでは『清水寺の手前』としか書かれていないのだが、清水寺への参道は何本もあり、どの辺りなのかよく分からなかった。
その後の調査で大まかな位置と『北庄八幡神社の境内跡』にあることが判明、今度こそリベンジである。
「赤田の大樫」に至った道をそのまま山越えすれば、境地区に出られるようである。
そちらから県373を上って行こうと思ったのだが…峠を下ったところの分岐路で道が分からなくなってしまった。
そもそもこの北庄〜上籾地区は道が複雑につながっている。
細かい地図は持ち合わせていなかったので、この方面からの探索は断念し来た道を戻る。
実は先ほどの広域農道の分岐点や変形四つ辻には清水寺への案内板があるのだが、こちらの方向からだと略図に載っている参道とは反対側から上ることになる。
ここは遠回りになろうとも、念のために正面から攻めることにして分岐点まで戻り、県376へと進んだ。
1.5kmほど進むと峠にさしかかる。
路傍の案内板にはまっすぐ行けば県373松地区へ、右手に行けば境と記されている。
おそらく県373への短絡路なのであろうと右手へ進むと、案の定出た場所は県373と県375の分岐点の近く。
ここで上方に向かう県373に入れば目的の参道に直結である。
しかしこの県373、以前にも書いたが相変わらずとんでもなく細い道である。
おまけに山中を抜けるため、曲がりくねっているし、暗い。
対向車が来ないことを祈りながらひた走る。
1kmほど走ると左手に清水寺への小さな案内板が立っており、以前はそこで右折して参道に入った。
しかし今回はそこからさらに1kmほど先まで行き、ヘアピン状に右折する道が目的の参道である。
実際に右折地点に着いてみると『迂回路』と記された標識が立っており、これは県373が細いために新しく作られた道のようである。
左手に注意を払いながら清水寺までの道のりを進んだ。
しかし道路脇にカシの巨木は見当たらない。
見つけたのは小さな祠と石碑くらいである。
そしてあっという間に清水寺に着いてしまった。
これはおかしい。
見落としているはずはないのだが…。
もう一度来た道を下る。
今度は右手に注意していたら(下りなので)、ふと目に付いたのが道路脇に立っていた木製の鳥居。
しかし何気にやり過ごし、再び分岐点まで戻ってしまった。
ふーむ、絶対にあるはずなのだがな…ここで諦めたらまた来なければいけない…
と、ここで頭の中に閃きが走った。
待てよ、神社の跡地ということは、もしかしてさっきの鳥居と関係があるのではないか?
急いで再び清水寺方向へ。
しかし鳥居がどの辺りにあったのか、ちらっと視野に入っただけなので覚えていない。
結局また清水寺まで行ってUターン。
今度こそ間違いなく鳥居発見。
鳥居は道から少しだけ引っ込んだ位置で、しかも正面が北東を向いていたので上りでは見えにくいのだった。
場所は参道の途中でちょっとだけ道が広くなった所である。
路傍に車を停め、鳥居をくぐって少し進むと…いきなり目の前にカシの巨木が現れた。
しかしこれは少し細めではないか、と思って周囲を見回すと、右手の方にさらに太い幹のカシが立っていた。
おそらくこれが「上籾の大樫」であろう。
時刻は7時ちょうど。
山中は既に薄暗く、写真を撮ったがいまいち樹の姿ははっきり写らなかった。
せっかく発見したのにちょっと残念である。
しかしこの諦めの悪さが発見につながったことも、また確かである。
今まで樹行をしていて度々感じたことであるが、ここで改めて教訓としたい。
・往路で見えなかったものも、復路で見えることはしばしばある。
・できるだけ諦めないこと。往生際悪く粘るべし。
たいした用事ではないので比較的早く終わったし、実家には盆にも帰っているので、あまり世間話もない。
時間があれば久米南町の宿題を済ませようと思って準備だけはして来たのだが、時刻は4時過ぎ。
微妙なところである。
ま、せっかくだから行くだけ行ってみるか、と、国53を北に向かった。
誕生寺で左折し、とりあえず誕生寺の門前に。
『津山名木百選』によると、ここから右折して1kmほど山の方に上って行ったところに「北庄の大樫」という樹があるらしい。
所有者が北山神社なので、地番の違う北山神社を訪れたのは去年の話。
その後、地番の違いを調べていてこちらにあることがわかった。
この地番は地図には記載されていないが、北山神社の末社があった所ということなので分かるかもしれない、と、とりあえず近くの地番を訪ねてみた。
しかしどうもそれらしき樹は見当たらない。
ピンポイントで訪ねているのではないので見つからなかったのかもしれないが、『名木百選』
には『かなり樹勢が衰えている』と記載されていたので枯れてしまったのかもしれない。
誕生寺の門前まで戻る。
今度は左手の県376を上って行く。
2.5kmほどで道は二股になる。
左手が県376でこちらは今岡地区を通って上籾へ、右手は高坊・境に続く広域農道である。
右手に進んで500mほど進むと変形四つ辻があるので、さらに右手に折れる。
1kmちょっと走ると右手に『是里池』という大きな池があり、そのすぐ下にある池との間に道が通っているのでそちらに侵入。
略図によると、この道を進んだ先に「赤田の大樫」という巨木があるはずである。
目印は樹下に墓地があるとのこと。
池の畔を直進すると突き当りが四つ辻。
左右は細いながらも舗装路で、正面はただの山道。
略図では山道の方にあるかのように書かれているが、こちらに墓地は無く、おまけに行ってみるとすぐに行き止まりであった。
左手の道を見やると少し先の山裾に小さな庵がある。
これは誕生寺の奥の院ということであるが、やはり墓地らしきものは見えない。(念のため奥の院まで歩いてみた。)
ならば右手か…と歩いてみたが、山側(左手)の斜面の上に1軒の家があるものの、墓地はない。
さて、これはどうしたものか、これより他に道は無し…と四つ辻に引き返そうとして、ふと気づいたのが斜面の上の家に続くらしい未舗装の道。
ダメ元で行ってみるか、と登って行くと、前方に太い枝が見えた。
むむ、これは!
さらに数歩進むと墓地が見える。
もう間違いない!!
「赤田の大樫」は墓地全体を覆うようにその太い枝を拡げていた。
低い位置から枝分かれしている様は、なかなかの迫力である。
場所がらあまり気持ちの良いものではないが、墓石に向かって『失礼します』と心の中で念じ、写真を撮った。
資料によると樹齢は500年、樹種はシラカシ、幹周は4.9mということで、シラカシとしては県下最大である。
昔々、この墓地の先祖が墓守りとして植えたのであろう。
枝が重みで折れはしまいか、と気になったが樹勢は良さそうである。
それにしても、諦めないでよかった…。
次は「上籾の大樫」である。
この樹も以前に一度探索したが、結局所在が不明だった。
『山の神』さんのHPでは『清水寺の手前』としか書かれていないのだが、清水寺への参道は何本もあり、どの辺りなのかよく分からなかった。
その後の調査で大まかな位置と『北庄八幡神社の境内跡』にあることが判明、今度こそリベンジである。
「赤田の大樫」に至った道をそのまま山越えすれば、境地区に出られるようである。
そちらから県373を上って行こうと思ったのだが…峠を下ったところの分岐路で道が分からなくなってしまった。
そもそもこの北庄〜上籾地区は道が複雑につながっている。
細かい地図は持ち合わせていなかったので、この方面からの探索は断念し来た道を戻る。
実は先ほどの広域農道の分岐点や変形四つ辻には清水寺への案内板があるのだが、こちらの方向からだと略図に載っている参道とは反対側から上ることになる。
ここは遠回りになろうとも、念のために正面から攻めることにして分岐点まで戻り、県376へと進んだ。
1.5kmほど進むと峠にさしかかる。
路傍の案内板にはまっすぐ行けば県373松地区へ、右手に行けば境と記されている。
おそらく県373への短絡路なのであろうと右手へ進むと、案の定出た場所は県373と県375の分岐点の近く。
ここで上方に向かう県373に入れば目的の参道に直結である。
しかしこの県373、以前にも書いたが相変わらずとんでもなく細い道である。
おまけに山中を抜けるため、曲がりくねっているし、暗い。
対向車が来ないことを祈りながらひた走る。
1kmほど走ると左手に清水寺への小さな案内板が立っており、以前はそこで右折して参道に入った。
しかし今回はそこからさらに1kmほど先まで行き、ヘアピン状に右折する道が目的の参道である。
実際に右折地点に着いてみると『迂回路』と記された標識が立っており、これは県373が細いために新しく作られた道のようである。
左手に注意を払いながら清水寺までの道のりを進んだ。
しかし道路脇にカシの巨木は見当たらない。
見つけたのは小さな祠と石碑くらいである。
そしてあっという間に清水寺に着いてしまった。
これはおかしい。
見落としているはずはないのだが…。
もう一度来た道を下る。
今度は右手に注意していたら(下りなので)、ふと目に付いたのが道路脇に立っていた木製の鳥居。
しかし何気にやり過ごし、再び分岐点まで戻ってしまった。
ふーむ、絶対にあるはずなのだがな…ここで諦めたらまた来なければいけない…
と、ここで頭の中に閃きが走った。
待てよ、神社の跡地ということは、もしかしてさっきの鳥居と関係があるのではないか?
急いで再び清水寺方向へ。
しかし鳥居がどの辺りにあったのか、ちらっと視野に入っただけなので覚えていない。
結局また清水寺まで行ってUターン。
今度こそ間違いなく鳥居発見。
鳥居は道から少しだけ引っ込んだ位置で、しかも正面が北東を向いていたので上りでは見えにくいのだった。
場所は参道の途中でちょっとだけ道が広くなった所である。
路傍に車を停め、鳥居をくぐって少し進むと…いきなり目の前にカシの巨木が現れた。
しかしこれは少し細めではないか、と思って周囲を見回すと、右手の方にさらに太い幹のカシが立っていた。
おそらくこれが「上籾の大樫」であろう。
時刻は7時ちょうど。
山中は既に薄暗く、写真を撮ったがいまいち樹の姿ははっきり写らなかった。
せっかく発見したのにちょっと残念である。
しかしこの諦めの悪さが発見につながったことも、また確かである。
今まで樹行をしていて度々感じたことであるが、ここで改めて教訓としたい。
・往路で見えなかったものも、復路で見えることはしばしばある。
・できるだけ諦めないこと。往生際悪く粘るべし。