巨木探訪:柵原町(5)
今回の柵原町探訪は、実は1月9日の建部町新井天神社の後に行った続きである。
新井天神社から県30を岡山方面に戻り、建部町川口で国53に合流、北上して久米南町弓削へ。
弓削の町並を過ぎたところで県52に右折して柵原町に至る。
県52を進んで行くと勝久橋の信号で吉井川に突き当たるが、その100mほど手前で左手の山へ登って行く道に入る。
目指すは約3km先の上山宮である。
地図を見てかなりの山道を予測して軽四で出かけたのだが、あにはからんや、この道は林道になっていて走りやすい。
難なく上山宮の駐車場に到着。
参道を登って行く途中に「明山のカシ」という巨木があるはずなのだが…それらしい樹は見当たらなかった。
資料には『数回の台風に遭い主要な幹が折れて、今では不正常な樹形となっている』と記述されているので、消失してしまったのかもしれない。
とりあえず境内まで登ってみると、目の前にかなり立派なヒノキが立っていた。
目測幹周は3mくらいで、途中から双幹になっている。
せっかくなので写真に収めた。
ちなみにこの林道、途中に一軒の民家も無く、上山宮はずいぶんと山奥にあるのに立派な造りの神社であった。
県52に戻って勝久橋の手前で右折し、県26を南下。
次の目的地は右手の山の上にある高城地区である。
見当をつけた場所に行くには4kmほど進んで町役場支所の先を右折する道が妥当なのだが、
地図を見るとけっこう細くて枝分かれした道のようである。
こういう道は迷いやすい。
3kmほど先の柵原西小学校の横から広域農道が延びているので、こちら側から登って行くことにした。
地図を頼りに高城コミュニティハウスの先300m、道が大きく右にカーブしている頂点から左手の道に入って行く。
400mほど進むと左手の民家の庭先に(民家は高台に建っているので、その高台の斜面に)一目でそれとわかる巨木があった。
これが「坊の大エノキ」である。
幹周4.7m、このような場所では風雪の被害に遭いそうなものだが、そのような形跡も無く大きく枝を張り出している様は見事である。
樹下にはまだ新しい美咲町指定天然記念物の立杭があった。
こちらには「高城のエノキ」と記されており、こちらは地名を取っているのだが、資料の「坊」とは何に由来しているのであろうか?
所有者は「石戸家」であるし、ここの字なのかどうか…不明である。
新井天神社から県30を岡山方面に戻り、建部町川口で国53に合流、北上して久米南町弓削へ。
弓削の町並を過ぎたところで県52に右折して柵原町に至る。
県52を進んで行くと勝久橋の信号で吉井川に突き当たるが、その100mほど手前で左手の山へ登って行く道に入る。
目指すは約3km先の上山宮である。
地図を見てかなりの山道を予測して軽四で出かけたのだが、あにはからんや、この道は林道になっていて走りやすい。
難なく上山宮の駐車場に到着。
参道を登って行く途中に「明山のカシ」という巨木があるはずなのだが…それらしい樹は見当たらなかった。
資料には『数回の台風に遭い主要な幹が折れて、今では不正常な樹形となっている』と記述されているので、消失してしまったのかもしれない。
とりあえず境内まで登ってみると、目の前にかなり立派なヒノキが立っていた。
目測幹周は3mくらいで、途中から双幹になっている。
せっかくなので写真に収めた。
ちなみにこの林道、途中に一軒の民家も無く、上山宮はずいぶんと山奥にあるのに立派な造りの神社であった。
県52に戻って勝久橋の手前で右折し、県26を南下。
次の目的地は右手の山の上にある高城地区である。
見当をつけた場所に行くには4kmほど進んで町役場支所の先を右折する道が妥当なのだが、
地図を見るとけっこう細くて枝分かれした道のようである。
こういう道は迷いやすい。
3kmほど先の柵原西小学校の横から広域農道が延びているので、こちら側から登って行くことにした。
地図を頼りに高城コミュニティハウスの先300m、道が大きく右にカーブしている頂点から左手の道に入って行く。
400mほど進むと左手の民家の庭先に(民家は高台に建っているので、その高台の斜面に)一目でそれとわかる巨木があった。
これが「坊の大エノキ」である。
幹周4.7m、このような場所では風雪の被害に遭いそうなものだが、そのような形跡も無く大きく枝を張り出している様は見事である。
樹下にはまだ新しい美咲町指定天然記念物の立杭があった。
こちらには「高城のエノキ」と記されており、こちらは地名を取っているのだが、資料の「坊」とは何に由来しているのであろうか?
所有者は「石戸家」であるし、ここの字なのかどうか…不明である。