巨木探訪:矢掛町(8)
先週に引き続き、今週も好天。
前夜、飲みに出かけていささか度を越して飲んでしまった私だが、こんな日に家で燻っているのも勿体無い。
かといって、樹行の下調べはしていない。
さて、どこへ行こうか?
比較的行きやすい(あまり山奥ではない)所で、短時間で数か所廻れそうな所。
追加調査の一覧表を見て、旧真備町〜小田郡矢掛町南部周辺を廻ってみることにした。
追加調査では旧真備町の未確認樹は「服部金谷のアベマキ」「箭田のアベマキ」「服部のエノキ」の3本である。
このうち「服部金谷のアベマキ」は以前に探索したが存在が確認できなかった(2010.9.19)。
出発に先立ってネットで再調査していたら『倉敷市自然史博物館友の会のメーリングリスト』の中に『2008年の春に伐採された』という記述が見つかった。
なるほど、探索しても見つからなかったわけである。
とりあえず「服部金谷のアベマキ」の消息は確認できた。
「箭田のアベマキ」の所在地のヒントは『箭田字直戸 日蓮大菩薩』、これだけである。
まず字直戸がどこにあるのか、手元の地図でもネットの地図でもわからない。
ところがネットで真備町箭田直戸を検索すると、意外なところで引っかかった。
『遺跡ウォーカー』というHPの『江戸時代の遺跡』の中に『箭田直戸所在石造物(仮称)』という物が見つかったのである。
早速クリックしてみると、遺跡概要として『石造物。「南無妙法蓮華経」の石碑云々…』と書いてあるではないか。 これだ、これに違いない!
おまけに地図まで付いている。
期待を込めて現地に赴いたが、周辺にそれらしい樹は見当たらない。
民家の裏手の高台にある墓地に上がってみると石碑が見つかり、そこには確かに「南無妙法蓮華経 日蓮大菩薩」の文字がある。
ということは場所としては間違いないのだろう。
このアベマキの所在は不明であった。
「服部のエノキ」は所在地の地番がわかっている。
どうやら個人の所有らしい。
しかし該当する地番にある民家に、それらしい巨木は見られなかった。
こちらも所在不明である。
さて、ここから矢掛町の探訪に移る。
今回は南部ということで里山田から南山田にかけて。
矢掛の中心である『矢掛町元町』の信号を左折して県64に入る。
北側から順序良く行こう(進行方向)か、と思ったが、先に進んで帰る方向で探訪しようと思い直す。
まずは「広石荒神社のムクノキ」であるが…
とりあえず地図を参照していただきたい。
この地域の地図を見ると荒神社が2か所ある。
探訪予定は「広石荒神社のムクノキ」と「猪篠荒神社のムクノキ」である。
広石地区は地図の荒神社よりも手前であるが、この地区には神社の表記がないので、とりあえずこの神社を訪ねてみることにした。
路側の広い所に車を停めると、一目で目立つ樹がある。
『ああ、これだな…』と思って歩を進めたのだが…
件の樹は鳥居の横手に立っていた。
しかし近づいてみると、どうも違う。
樹高はかなりあって見た目は立派。
樹肌からすると樹種はシイ類らしく、どう見てもムクノキではない。
幹周も2.5mくらいであろうか、巨木の範疇に入れるには今一つ物足りない。
一応写真に収めたが、これではなかった、という違和感は消えない。
ここは地名から取って「小迫荒神社のシイ」としておこう。
ならば、その先の猪篠荒神はどうなのであろうか?
距離は小迫荒神社から500mも離れていないので、あっという間に到着。
車を降りてみると2本のムクノキが立っていたのだが…
ちょっと待て、この風景は以前見たことがあるぞ!?
そう、ここはかつて矢掛町を探訪した際(2009.12.13)に「横谷のカゴノキ」を捜していて、偶然辿り着いた荒神社である。
その時はとりあえず「横谷柏木荒神社のムクノキ」と名付けたのだが、地図をよく見ると地名は横谷ではない。
わずか2〜30mの差ではあるが、南山田である。
以前訪ねた時は冬場だったので葉が落ちており、傷んだ幹だけが目立って骸のように見えた樹であったが、こうして葉がついているところを見ると意外と元気そうである。
名称も「猪篠荒神社のムクノキ」と訂正しておく。
前夜、飲みに出かけていささか度を越して飲んでしまった私だが、こんな日に家で燻っているのも勿体無い。
かといって、樹行の下調べはしていない。
さて、どこへ行こうか?
比較的行きやすい(あまり山奥ではない)所で、短時間で数か所廻れそうな所。
追加調査の一覧表を見て、旧真備町〜小田郡矢掛町南部周辺を廻ってみることにした。
追加調査では旧真備町の未確認樹は「服部金谷のアベマキ」「箭田のアベマキ」「服部のエノキ」の3本である。
このうち「服部金谷のアベマキ」は以前に探索したが存在が確認できなかった(2010.9.19)。
出発に先立ってネットで再調査していたら『倉敷市自然史博物館友の会のメーリングリスト』の中に『2008年の春に伐採された』という記述が見つかった。
なるほど、探索しても見つからなかったわけである。
とりあえず「服部金谷のアベマキ」の消息は確認できた。
「箭田のアベマキ」の所在地のヒントは『箭田字直戸 日蓮大菩薩』、これだけである。
まず字直戸がどこにあるのか、手元の地図でもネットの地図でもわからない。
ところがネットで真備町箭田直戸を検索すると、意外なところで引っかかった。
『遺跡ウォーカー』というHPの『江戸時代の遺跡』の中に『箭田直戸所在石造物(仮称)』という物が見つかったのである。
早速クリックしてみると、遺跡概要として『石造物。「南無妙法蓮華経」の石碑云々…』と書いてあるではないか。 これだ、これに違いない!
おまけに地図まで付いている。
期待を込めて現地に赴いたが、周辺にそれらしい樹は見当たらない。
民家の裏手の高台にある墓地に上がってみると石碑が見つかり、そこには確かに「南無妙法蓮華経 日蓮大菩薩」の文字がある。
ということは場所としては間違いないのだろう。
このアベマキの所在は不明であった。
「服部のエノキ」は所在地の地番がわかっている。
どうやら個人の所有らしい。
しかし該当する地番にある民家に、それらしい巨木は見られなかった。
こちらも所在不明である。
さて、ここから矢掛町の探訪に移る。
今回は南部ということで里山田から南山田にかけて。
矢掛の中心である『矢掛町元町』の信号を左折して県64に入る。
北側から順序良く行こう(進行方向)か、と思ったが、先に進んで帰る方向で探訪しようと思い直す。
まずは「広石荒神社のムクノキ」であるが…
とりあえず地図を参照していただきたい。
この地域の地図を見ると荒神社が2か所ある。
探訪予定は「広石荒神社のムクノキ」と「猪篠荒神社のムクノキ」である。
広石地区は地図の荒神社よりも手前であるが、この地区には神社の表記がないので、とりあえずこの神社を訪ねてみることにした。
路側の広い所に車を停めると、一目で目立つ樹がある。
『ああ、これだな…』と思って歩を進めたのだが…
件の樹は鳥居の横手に立っていた。
しかし近づいてみると、どうも違う。
樹高はかなりあって見た目は立派。
樹肌からすると樹種はシイ類らしく、どう見てもムクノキではない。
幹周も2.5mくらいであろうか、巨木の範疇に入れるには今一つ物足りない。
一応写真に収めたが、これではなかった、という違和感は消えない。
ここは地名から取って「小迫荒神社のシイ」としておこう。
ならば、その先の猪篠荒神はどうなのであろうか?
距離は小迫荒神社から500mも離れていないので、あっという間に到着。
車を降りてみると2本のムクノキが立っていたのだが…
ちょっと待て、この風景は以前見たことがあるぞ!?
そう、ここはかつて矢掛町を探訪した際(2009.12.13)に「横谷のカゴノキ」を捜していて、偶然辿り着いた荒神社である。
その時はとりあえず「横谷柏木荒神社のムクノキ」と名付けたのだが、地図をよく見ると地名は横谷ではない。
わずか2〜30mの差ではあるが、南山田である。
以前訪ねた時は冬場だったので葉が落ちており、傷んだ幹だけが目立って骸のように見えた樹であったが、こうして葉がついているところを見ると意外と元気そうである。
名称も「猪篠荒神社のムクノキ」と訂正しておく。