巨木探訪:作東町(3)
県46に戻ってさらに山を下って行くと、角南という少し平坦な地区になる。
ここの角南神社にはムクノキがあるはず…なのだが、調査ではこのムクノキは「お旅所のムクノキ」と言い、祭の際に神輿が一旦休憩をする場所にあるらしい。
しかし万能地図には『角南神社(獅子舞・ムクノキ)』と記載されている。
実際のところ、お旅所と神社の番地は違うのであるが、さて、どちらが正しいのか?
ここで、神社のそばに公会堂があるのでそこに車を停めようと思っていたのだが、うっかり遣り過ごしてしまった。
少し先で道が二又に分かれたところで気がつき引き返したところ、道路左手にある大きな樹が目に入った。
おや、これは…と車を止めてよく見ると、樹下には石柱が立っているようである。
これだ、これだよ、お旅所は!
その場に車を停めてさっそく近づいてみると、間違うことなくここが『お旅所』であった。
ムクノキは幹基がかなり空洞化しているようである。
というか、ほとんど樹皮の部分で持っているようなものである。
大丈夫なのであろうかと思うが、樹形を見ていると意外と元気そうでもある。
念のため角南神社の境内まで上ってみたが、こちらには該当するような巨木は無し。
さて、角南地区にはもう1本「七五三(しめ)の大杉」という樹があるらしい。
これまた所在地がはっきりとはしていないのだが、万能地図には記載されている。
万能地図の大まかな場所を頼りに、拡大版の地図上で想定した辺りを探してみたのだが見つけることはできなかった。
しかもこれでずいぶんと時間を消費してしまった。
生憎と空は快晴から曇天に変化しつつある。
4時台にしては暗めになってしまった。
とりあえず先を急ぎ、県46が国179に突き当たる手前で『土井神社のコヤスノキ』を訪ねた。
この樹は巨木ではないのだが、町指定(現市指定)になっている。
コヤスノキというのは江戸時代の「草木図説」に記載されながら久しく実態の掴めない幻の木であったという。
明治31年に兵庫県揖保郡で発見され、牧野富太郎博士が鑑定して初めて実在が確認された。
兵庫県西部から岡山市東部にかけてのみ自生する樹で、本樹は樹齢150年ということで指定されたのであろうか。
一見するとただの庭木にしか見えないのだが…。
それよりも形態的に面白いのは境内入口のフジであった。
参道の上を横切って伸びている。
これまた巨木ではないのだが。
ここの角南神社にはムクノキがあるはず…なのだが、調査ではこのムクノキは「お旅所のムクノキ」と言い、祭の際に神輿が一旦休憩をする場所にあるらしい。
しかし万能地図には『角南神社(獅子舞・ムクノキ)』と記載されている。
実際のところ、お旅所と神社の番地は違うのであるが、さて、どちらが正しいのか?
ここで、神社のそばに公会堂があるのでそこに車を停めようと思っていたのだが、うっかり遣り過ごしてしまった。
少し先で道が二又に分かれたところで気がつき引き返したところ、道路左手にある大きな樹が目に入った。
おや、これは…と車を止めてよく見ると、樹下には石柱が立っているようである。
これだ、これだよ、お旅所は!
その場に車を停めてさっそく近づいてみると、間違うことなくここが『お旅所』であった。
ムクノキは幹基がかなり空洞化しているようである。
というか、ほとんど樹皮の部分で持っているようなものである。
大丈夫なのであろうかと思うが、樹形を見ていると意外と元気そうでもある。
念のため角南神社の境内まで上ってみたが、こちらには該当するような巨木は無し。
さて、角南地区にはもう1本「七五三(しめ)の大杉」という樹があるらしい。
これまた所在地がはっきりとはしていないのだが、万能地図には記載されている。
万能地図の大まかな場所を頼りに、拡大版の地図上で想定した辺りを探してみたのだが見つけることはできなかった。
しかもこれでずいぶんと時間を消費してしまった。
生憎と空は快晴から曇天に変化しつつある。
4時台にしては暗めになってしまった。
とりあえず先を急ぎ、県46が国179に突き当たる手前で『土井神社のコヤスノキ』を訪ねた。
この樹は巨木ではないのだが、町指定(現市指定)になっている。
コヤスノキというのは江戸時代の「草木図説」に記載されながら久しく実態の掴めない幻の木であったという。
明治31年に兵庫県揖保郡で発見され、牧野富太郎博士が鑑定して初めて実在が確認された。
兵庫県西部から岡山市東部にかけてのみ自生する樹で、本樹は樹齢150年ということで指定されたのであろうか。
一見するとただの庭木にしか見えないのだが…。
それよりも形態的に面白いのは境内入口のフジであった。
参道の上を横切って伸びている。
これまた巨木ではないのだが。