巨木探訪:神郷町
これで新見市北部を終わり、ここから神郷町に向かう。
国180を千屋の南まで下り県11に右折。
山合いを進んで行くと、やがて神郷町を縦断する県8に突き当たるので右折。
1kmほど北上して右手の県11の延長ラインに入り、さらに西進して行くと、あと800mほどで鳥取県というところで右手に神社がある。
目印はバス停『宮の前』、地図上では『木谷神社』と記載されている。
この神社の正面あたりに県下第2位の「高瀬のモミ」があるらしい。
まずは神社に立ち寄ってみた。
鳥居には『疫神社』と記されているので違うのだろうか、と思ったが、どう見てもここが木谷神社である。
神社周辺にはモミの巨木は無し、神社から正面を見ると山しか見えない。
資料の略図と所在地の地番からすると、神社から正面(南)の山裾に伸びる道の近くにあるようなのだが、遠目ではわからない。
県道沿いには民家があり、その並びにある公会堂の前がちょっと広いので路駐し、とりあえず行ってみるか、と正面の道に歩を進めた。
150mも進むと畑や民家が現れる。
さて、この一帯のどこにあるのだろうか…ちょっと見当が付きかねていると、正面から電動カーに乗った婆さんが近づいてきた。
また不審者と思われるのかなぁ、と考えながら少し歩を緩めているうちに、婆さんは左手の畑の方に曲がった。
やれやれ、と思ったが、これでは何の進歩もない。
ここは思い切ってあの婆さんに聞いてみるか、と一瞬のうちに判断した。
まずは婆さんに近づき『こんにちは。』と明るく声をかける。
婆さん、不審そうな顔ではない。
うむ、これはいける。
『すみません、この辺に大きいモミの樹があると聞いたんですけど、ご存じでしょうか?』
『ああ、そりゃそこじゃがな』と婆さんが指差した先には!
すぐ右手の山裾に1本のモミが立っていた。
なーんだ、もうちょっと進んで右手を見たら良かったのか…。
『こりゃあなぁ、この間も雷が落ちたんじゃ。』
ほほう。
『あのモミの下まで行く道はあるんですかね?』
婆さんは親切に教えてくれた。
『そこの先に青いホースが見えよう。あそこは空き家じゃけど、その横のキュウリのネットのところから上に行けるんじゃ。雷で枝が落ちとるけどなぁ。』
お礼を言って早速そちらに向かう。
竹藪を抜けると簡単に樹下に行くことができ、ちょっと離れた斜面には指定の杭もあった。
周囲は落雷の痕跡も生々しく、確かに裂けた枝が散乱している。
しかし樹の幹は焼け爛れているわけでもなく、樹冠が著しく欠損しているわけでもない。
これが県下第2位のモミか…こういう災害を何度も耐えてきたのだろうな。
自然は天敵であるが、また味方でもある。
長生きするということは受難も多いということか…。
婆さんにお礼を述べて次に向かう。
県11を県8まで戻り南下。
5kmほど下ると今度は右手に県12があるので右折。
余談であるが、この県8は伯備線と絡み合っているため橋梁が多い。
橋梁の下は狭く、おまけにカーブになっているので走行要注意である。
右折して3kmほど進むと上油野地区である。
一握りほどの民家がある手前で左折して橋を渡り、山の方に向かう。
1kmほど行ったあたりに「大栗のクワ」があるはずなのだが…進んで行くうちに道がどんどん細くなる。
いちばん奥の民家が見えるあたりで、とうとう道は未舗装になってしまった。
普通車で進むと、いや軽四でももう引き返せないかもしれない、という狭さである。
この先進むとどうなるのか…?
地図上では道が続いているようなのだが不安に駆られ、ここは諦めることにした。
仕方があるまい。
せっかく来た県12をまた県8まで戻る。
4kmほど南下すると国182に突き当たる。
やれやれ、広い道に出るとほっとする。
右折して神郷町の中心部である備中神代の方に向かう。
神代小学校の前を過ぎて1kmほど進むと『神社前』というバス停があり、左手の橋の向こうに国司神社の社叢が見える。
左折して神社の境内まで車を乗り入れた。
本殿の裏手に立っているのが「国司神社のスギ」である。
形はオーソドックス、幹周はまずまず(4.3m)。
指定を受けてはいるが、正直なところ、そんなに感動するほどの樹ではない。
ちょっと期待外れ…本殿の近くにあるスギもほぼ同じくらいの幹周か…。
国182を引き返し、小学校の正面にある信号を右折、県441に入る。
この先に「谷垣内の双椿」という名木があるので、ついでに探索しようと思ったのだ。
しかし所在地がピンポイントで特定できているわけではない。
案の定、これは発見できなかった。
さて、この県441に入ったところで『日本一の親子孫水車』という観光物がある。
通りすがりだし、せっかくなので寄ってみるか、と行ってみたのだが…正直、がっかり。
確かに水車は3つある。
しかしお互いが関連して動いているのではない。
ポンプで水を汲み上げ、それぞれを動かしているだけである。
隣には手漉き和紙体験コーナーなどもあり、一応観光スポットらしい努力の跡は伺えるのだが…。
『親子孫水車』というからには、ポンプで単独に動かしていちゃダメでしょ?
これでは単にサイズの違う水車を作ってみました、というだけだと思うのだが、どうか?
こんな物は金さえあればどこにでもできる。
見た目は良いが地域の特異性を生かしているとは言い難い。
神郷町役場(旧)、どうなのだ?
作ってしまったら維持費も大変だと思うのは下世話なことか…。
ま、いらぬお世話だ。
ここからは帰途である。
国182を東に戻り、国180から高橋方面へ。
県8との合流地点で面白いものを見た。
『レストランしんごう』。
ちょうど信号の側なので『しんごう』かと思ったが、よく考えたら神郷町の『しんごう』だよな。(当たり前であるが)
経営者がそこまで考えて付けたシャレのネーミングだったら拍手なのだがな、と独りごちて帰路を急いだ。
本日の走行距離、遂に300km弱。
やはり新見市は遠い。
国180を千屋の南まで下り県11に右折。
山合いを進んで行くと、やがて神郷町を縦断する県8に突き当たるので右折。
1kmほど北上して右手の県11の延長ラインに入り、さらに西進して行くと、あと800mほどで鳥取県というところで右手に神社がある。
目印はバス停『宮の前』、地図上では『木谷神社』と記載されている。
この神社の正面あたりに県下第2位の「高瀬のモミ」があるらしい。
まずは神社に立ち寄ってみた。
鳥居には『疫神社』と記されているので違うのだろうか、と思ったが、どう見てもここが木谷神社である。
神社周辺にはモミの巨木は無し、神社から正面を見ると山しか見えない。
資料の略図と所在地の地番からすると、神社から正面(南)の山裾に伸びる道の近くにあるようなのだが、遠目ではわからない。
県道沿いには民家があり、その並びにある公会堂の前がちょっと広いので路駐し、とりあえず行ってみるか、と正面の道に歩を進めた。
150mも進むと畑や民家が現れる。
さて、この一帯のどこにあるのだろうか…ちょっと見当が付きかねていると、正面から電動カーに乗った婆さんが近づいてきた。
また不審者と思われるのかなぁ、と考えながら少し歩を緩めているうちに、婆さんは左手の畑の方に曲がった。
やれやれ、と思ったが、これでは何の進歩もない。
ここは思い切ってあの婆さんに聞いてみるか、と一瞬のうちに判断した。
まずは婆さんに近づき『こんにちは。』と明るく声をかける。
婆さん、不審そうな顔ではない。
うむ、これはいける。
『すみません、この辺に大きいモミの樹があると聞いたんですけど、ご存じでしょうか?』
『ああ、そりゃそこじゃがな』と婆さんが指差した先には!
すぐ右手の山裾に1本のモミが立っていた。
なーんだ、もうちょっと進んで右手を見たら良かったのか…。
『こりゃあなぁ、この間も雷が落ちたんじゃ。』
ほほう。
『あのモミの下まで行く道はあるんですかね?』
婆さんは親切に教えてくれた。
『そこの先に青いホースが見えよう。あそこは空き家じゃけど、その横のキュウリのネットのところから上に行けるんじゃ。雷で枝が落ちとるけどなぁ。』
お礼を言って早速そちらに向かう。
竹藪を抜けると簡単に樹下に行くことができ、ちょっと離れた斜面には指定の杭もあった。
周囲は落雷の痕跡も生々しく、確かに裂けた枝が散乱している。
しかし樹の幹は焼け爛れているわけでもなく、樹冠が著しく欠損しているわけでもない。
これが県下第2位のモミか…こういう災害を何度も耐えてきたのだろうな。
自然は天敵であるが、また味方でもある。
長生きするということは受難も多いということか…。
婆さんにお礼を述べて次に向かう。
県11を県8まで戻り南下。
5kmほど下ると今度は右手に県12があるので右折。
余談であるが、この県8は伯備線と絡み合っているため橋梁が多い。
橋梁の下は狭く、おまけにカーブになっているので走行要注意である。
右折して3kmほど進むと上油野地区である。
一握りほどの民家がある手前で左折して橋を渡り、山の方に向かう。
1kmほど行ったあたりに「大栗のクワ」があるはずなのだが…進んで行くうちに道がどんどん細くなる。
いちばん奥の民家が見えるあたりで、とうとう道は未舗装になってしまった。
普通車で進むと、いや軽四でももう引き返せないかもしれない、という狭さである。
この先進むとどうなるのか…?
地図上では道が続いているようなのだが不安に駆られ、ここは諦めることにした。
仕方があるまい。
せっかく来た県12をまた県8まで戻る。
4kmほど南下すると国182に突き当たる。
やれやれ、広い道に出るとほっとする。
右折して神郷町の中心部である備中神代の方に向かう。
神代小学校の前を過ぎて1kmほど進むと『神社前』というバス停があり、左手の橋の向こうに国司神社の社叢が見える。
左折して神社の境内まで車を乗り入れた。
本殿の裏手に立っているのが「国司神社のスギ」である。
形はオーソドックス、幹周はまずまず(4.3m)。
指定を受けてはいるが、正直なところ、そんなに感動するほどの樹ではない。
ちょっと期待外れ…本殿の近くにあるスギもほぼ同じくらいの幹周か…。
国182を引き返し、小学校の正面にある信号を右折、県441に入る。
この先に「谷垣内の双椿」という名木があるので、ついでに探索しようと思ったのだ。
しかし所在地がピンポイントで特定できているわけではない。
案の定、これは発見できなかった。
さて、この県441に入ったところで『日本一の親子孫水車』という観光物がある。
通りすがりだし、せっかくなので寄ってみるか、と行ってみたのだが…正直、がっかり。
確かに水車は3つある。
しかしお互いが関連して動いているのではない。
ポンプで水を汲み上げ、それぞれを動かしているだけである。
隣には手漉き和紙体験コーナーなどもあり、一応観光スポットらしい努力の跡は伺えるのだが…。
『親子孫水車』というからには、ポンプで単独に動かしていちゃダメでしょ?
これでは単にサイズの違う水車を作ってみました、というだけだと思うのだが、どうか?
こんな物は金さえあればどこにでもできる。
見た目は良いが地域の特異性を生かしているとは言い難い。
神郷町役場(旧)、どうなのだ?
作ってしまったら維持費も大変だと思うのは下世話なことか…。
ま、いらぬお世話だ。
ここからは帰途である。
国182を東に戻り、国180から高橋方面へ。
県8との合流地点で面白いものを見た。
『レストランしんごう』。
ちょうど信号の側なので『しんごう』かと思ったが、よく考えたら神郷町の『しんごう』だよな。(当たり前であるが)
経営者がそこまで考えて付けたシャレのネーミングだったら拍手なのだがな、と独りごちて帰路を急いだ。
本日の走行距離、遂に300km弱。
やはり新見市は遠い。